「第3回化学物質のリスク評価・リスク管理に関する国際ワークショップ」発表内容
数理モデルによる日本人のダイオキシンレベルの推定:過去から将来に亘る変遷

吉田 喜久雄,池田詩野,中西準子

1.研究目的

ダイオキシン類により被る健康リスクに対する社会的な関心の高さから,1990年代後半に集中的に各種のモニタリングが我が国において実施されている。これらのモニタリング結果に基づいて,健康リスクの現状が評価されるとともに,政府により焼却施設からのダイオキシン類排出抑制対策や耐容一日摂取量(TDI)の決定が行われている。

我が国の環境中や日本人の体内での過去のダイオキシン類レベルに関する報告は非常に少ないが,厚生省の調査結果から,過去の食品中と母乳中のダイオキシン類レベルは現在よりも高かったことが示唆されている。さらに,我が国では,過去に使用された一部の除草剤中に不純物として含まれていた多量のダイオキシン類が水田に放出されたことが明らかとなっている。したがって,日本人が過去から将来に亘り被るダイオキシン類のリスクを推定する,さらには,リスク削減対策を考える際には,焼却施設以外の過去のダイオキシン類排出源も含めて考えなければならない。

本研究では,排出源として焼却施設,水田除草剤不純物およびポリ塩素化ビフェニル(PCBs)を想定し,これらから排出されたポリ塩素化ジベンゾ-p-ジオキシン及びジベンゾフラン(PCDD/Fs)の人に至るまでの輸送過程をモデル化した。これらの数理モデルを用いて,日本人のPCDD/Fs摂取量と体内負荷量のバックグラウンドレベルの過去から将来に亘る変遷を2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-p-ジオキシン毒性等価量(TEQ)ベースで推定し,焼却施設からの排出抑制対策の有効性を評価した。

2.モデリングの概要

日本人の一般集団がPCDD/Fsから被る曝露を推定するために,図1に示す排出源,環境輸送経路,曝露経路及び体内動態をモデル化し,PCDD/Fsの体内負荷量を推定した。各発生源からのPCDD/Fs放出量は,横浜国大環境科学研究センター益永教授が推定された値を使用した[1]。


図1 モデル化した発生源,環境輸送経路,曝露経路及び体内動態

2.1 焼却施設由来PCDD/Fs
焼却施設から大気に排出されるPCDD/Fsの大気と水田を除く土壌(以下,非水田土壌)中での動態及び沿岸海域への流出量は,大気と土壌で構成される2コンパートメントモデルで推定した。このモデルは,既に焼却施設近傍での動態評価に適用され,妥当な推定をすることが演者らにより検証されている[2]。

2.2 除草剤由来PCDD/Fs
水田に過去に散布された一部の除草剤中に含まれていたPCDD/Fsの土壌中動態及び沿岸海域への流出量は表層と下層の2層で構成される水田土壌1コンパートメントモデルで推定した。土壌表層では流出,侵食及び分解が,下層では分解のみがPCDD/Fsの消失に寄与し,両層は年に一回耕され,均一な濃度になると仮定した(図2)。この水田モデルの推定結果の妥当性を評価するため,既報の水田中の2,3,7,8位に塩素置換したPCDD/Fs17同族体濃度[3]とモデルにより推定された濃度を比較した。


図2 水田モデルで考慮するプロセスと水田の主な環境特性

2.3 沿岸海域PCDD/Fs
沿岸海洋に非水田土壌及び水田土壌からに流入するPCDD/Fs及び直接沿岸海域に排出されたPCBs由来PCDD/Fsの海水及び底質中の動態は,水と底質で構成される2コンパートメントモデルで推定した。このモデル(SAFECAS)は,既にミクロコズム実験結果との比較により妥当な推定をすることが演者らにより検証されている[4]。

2.4 平均一日PCDD/Fs摂取量
PCDD/Fsの平均一日摂取量は摂取媒体(大気,野菜類,肉,乳製品及び魚介類)中のPCDD/Fs濃度とそれらの摂取速度の積として求めた。計算に際しては,大気や食品の摂取速度は常に一定と仮定した。

沿岸海域で漁獲される魚介類中のPCDD/Fs濃度は海水中濃度と平衡状態にあると仮定して算出した。沖合及び遠洋で漁獲される魚介類中濃度は沿岸魚の1/2とした。日本人が摂食する魚介類全体に占める沿岸魚の割合は,1970年以前で0.4,それ以降で0.3と仮定した。

野菜類,肉及び乳製品中のPCDD/Fs濃度は米国環境保護庁の推算方法に従って,大気中濃度から推定した[5]。

2.5 PCDD/Fs体内負荷量
我が国の一般住民におけるPCDD/Fsの体内負荷量及び脂肪中濃度は,1コンパートメントモデルで推定した。このモデルについては,我が国の一般住民と焼却施設周辺住民の体内負荷量推定に既に適用され,妥当な推定をすることが演者らにより検証されている[6]。

既に厚生省から報告されている25?29歳女性の母乳脂肪中濃度の経年変化[7]と比較するため,一般住民の体内負荷量は,27歳女性の脂肪中濃度として算出した。

2.6 焼却施設からの排出源抑制対策の有効性評価
構築したPCDD/Fsの環境動態及び体内負荷量を推定する数理モデルを用いて,焼却施設から排出されるPCDD/Fs量が削減された場合,無対策の場合に比べ,どの程度,PCDD/Fsの環境媒体中濃度と体内負荷量が将来低減するかを推定した。

仮定したPCDD/Fs排出量削減シナリオは,以下の2つである。
1)ケース1:1999年に焼却施設から排出されるPCDD/Fs量を,それまでの量(5000 g/年)から1/5の1000 g/年に削減する
2)ケース2:1999年に焼却施設から排出されるPCDD/Fs量を,それまでの量(5000 g/年)から1/10の500 g/年に削減する

2.7 感度解析
PCDD/Fsの環境中濃度と体内負荷量に大きな影響を及ぼすパラメータを明確にするため,モンテカルロ・シミュレーションにより感度解析を行った。解析した各パラメータには,入力値を平均,入力値の10%を標準偏差とする正規分布を仮定した。

3.結果と考察

3.1 水田モデルの検証
図3に示すように,水田モデルで推定されたPCDD/Fs17同族体の水田土壌中濃度は, 1,2,3,7,8,9-HxCDFを除き測定値とほぼよく一致した。このことから,開発したモデルは水田土壌中のPCDD/Fs濃度を妥当に評価すると判断できる。さらに,益永教授により推定された農薬不純物としてのPCDD/Fs放出量も妥当な数値であると判断された。


図3 水田土壌中の同族体別濃度の推定結果

3.2 環境中PCDD/Fs濃度
1958年から2000年までの推定された環境媒体(大気,非水田土壌,水田土壌,沿岸域海水及び底質)中のPCDD/Fs濃度(TEQベース)の経年変化を図4に示す。この図から明らかなように,水田土壌及び沿岸域海水中の濃度は現在,減少傾向,大気と沿岸域底質中濃度は横ばい,そして非水田土壌中濃度は上昇傾向にあると推定された。

さらに,図4及び表1に示すように,推定された1995年以降の我が国のバックグラウンド域における各種環境中のPCDD/Fs濃度は,環境庁の各種モニタリング調査結果[8-13]で報告されている濃度範囲内であった。

これらの結果から,本研究で使用あるいは構築した数理モデルは,過去から将来に亘る各種環境媒体中濃度(TEQベース)の経年変化を妥当に推定できると判断された。


図4 我が国の環境中PCDD/Fs濃度の経年変化の推定結果
 

表1 環境中PCDD/Fs濃度の測定値と推定値の比較

環境媒体 計算値 測定値
大気,pg/m3 1997 0.052 0.01 - 0.18*
1998 0.052 N.D. - 0.067**
非水田土壌,pg/g 1998 1.8 0.13 - 5.6**
水田土壌,pg/g 1998 25 15 - 130**
海水,pg/L 1995 0.09 N.D. - 0.3***
1997 0.09 0.005 - 0.18*
底質(海洋),pg/g 1995 0.68 0.26 - 75*
1997 0.67 0.012 - 49*
魚,pg/g 1997 0.43 N.D. - 2.80*
                                                         *: I-TEQ **: WHO(97)-TEQ  ***: NATO-TEQ

3.3 平均一日PCDD/Fs摂取量
図5に示すように,数理モデルにより推定した有色野菜,魚介類,肉・卵及び乳製品経由の平均一日摂取量(年)は,乳製品で若干低めであったが,1997年あるいは1998年に報告された環境庁,厚生省及び東京都の測定結果[14-16]とほぼ一致した。

しかし,厚生省により報告されている1977,82及び88年の保存試料における肉と乳製品経由の平均一日摂取量は,計算値に比べてかなり高かった。この差異の原因は明らかではない。しかし,家畜の餌となる牧草へのPCDD/Fsの主な輸送経路は,緑黄色野菜と同様に,大気からの吸収と沈着に起因すると考えられており,測定された過去20年間の緑黄色野菜経由の摂取量には大きな変化がないことから,数理モデルで推定される以上に過去において家畜に蓄積されたPCDD/Fsは大気,牧草を経由して家畜に蓄積される焼却由来のPCDD/Fsではないと考えられる。


図5 最近の食品別平均一日PCDD/Fs摂取量の推定結果

3.4 脂肪中 PCDD/Fs濃度
推定された27歳女性の脂肪中PCDD/Fs濃度の経年変化を25?29歳女性の母乳中測定濃度(脂肪ベース)と比較した結果,図5に示すように,1980年以降の減少傾向はよく一致したが,それ以前においては,若干過小に濃度が推定された。この原因としては,1958年以前のPCDD/Fsの摂取を考慮していないこと,あるいは,上述のように数理モデルで予想以上されなかった肉及び乳製品経由でのPCDD/Fsの多量摂取が考えられる。


図6 27歳女性の脂肪中濃度の変遷の推定

3.5 底質,魚及び母乳中PCDD/Fsへの排出源寄与率
数理モデルにより推定された,1999年における沿岸域の底質と魚及び一般的な日本人の母乳脂肪中のPCDD/Fsに占める発生源別の寄与率を図7に示す。図から明らかなように,底質中のPCDD/Fsの84%,沿岸魚の74%,そして母乳中の63%が過去に水田に散布された一部の除草剤に含まれていたPCDD/Fsに起因する。PCBに不純物として含まれていたPCDD/Fsは底質,魚介類及び母乳中濃度にほとんど寄与せず,焼却施設からの排出速度が変らなければ,2014年に母乳中のPCDD/Fsへの焼却施設と除草剤不純物の寄与率が等しくなると推測された。


図7 底質,魚及び母乳中PCDD/Fsへの排出源寄与率

3.6 排出抑制対策の効果の評価
焼却施設から大気中に排出されるPCDD/Fsの量を,ケース1及びケース2のシナリオにしたがって削減した場合に予想される各環境媒体中のPCDD/Fs濃度の低減結果を未対策時の濃度とともに図8に示す。この図から明らかなように,大気中濃度は削減量に比例して濃度が低減し,その結果として,沈着量が低減するため水田を除く土壌中の濃度も増加せず,徐々に低減する。さらに,沿岸域水中のPCDD/Fs濃度も未対策時に比べて低減する。しかし,底質中濃度はほとんど影響を受けない。さらに,大気を除き,排出量を1/5にした場合と1/10にした場合において,ほとんど濃度には差はない。


図8 排出抑制対策に伴う環境中PCDD/Fsレベルの推定

一方,27歳女性の母乳脂肪中PCDD/Fs濃度は,図9に示すように,未対策時の場合には緩やかに減衰し,1999年時の濃度が半減するには30年以上の時間を要する。一方,削減対策を施した場合,母乳脂肪中のPCDD/Fs濃度は未対策時に比べて速やかに減衰するが,排出量を1999年時の1/5あるいは1/10に削減しても,濃度が半減するには,それぞれ17年あるいは15年を要し,また,差はほとんど見られない。

図7に示したように,母乳中のPCDD/Fs(すなわち体内負荷量)の主たる起源は,過去に水田に散布された一部の除草剤中に含まれていたPCDD/Fsであるため,焼却施設から排出されるPCDD/Fsを削減することは,体内負荷量の急速な低減には繋がらないと考えられる。


図9 排出抑制対策に伴うPCDD/Fsの体内負荷量レベルの推定

3.7 感度解析
一般的な日本人のPCDD/Fs体内負荷量は,主に水田から流出したPCDD/Fsを蓄積した魚介類を摂取することに起因することが明らかとなった。そこで,水田と海洋でのPCDD/Fsの動態評価に用いたパラメータの中で,現時点の体内負荷量に大きな影響を及ぼすパラメータを感度解析で調べた。

その結果,図10に示すように,水中懸濁粒子への吸着と移流に関するパラメータ(懸濁粒子有機炭素含有率,有機炭素吸着定数,移流速度定数)が最大の影響を及ぼし,次いで,水田での残留性と海洋への輸送に関するパラメータ(土壌中粒子容積比,土壌中半減期,土壌浸食速度)が大きな影響を及ぼすことが明らかになった。地域特異的あるいは同族体毎の曝露評価を行う際には,影響を及ぼすこれらのパラメータに信頼できる値あるいは適切な確率密度関数を定義することが必要である。


図10 モデルパラメータの体内負荷量に対する感度解析

まとめ

本研究の最終目標は,同族体毎に発生源から人の体内までの輸送を考慮し,ダイオキシン類の体内曝露レベルを推定することであるが,TEQベースの推定結果は,モデルシミュレーションにより過去あるいは現在の環境中,摂取量及び体内負荷量のバックグラウンドレベルが再現でき,さらに将来における変遷を予測できることを示している。

さらに,発生源周辺とバックグラウンドでのダイオキシン類の曝露を推定する数理モデルを組み合わせることにより,評価対象地域の住民への主要な曝露経路を決定でき,その住民への曝露とリスクを削減する上で最も効果的な対策を選択することも可能となると考えられる。

参考文献

1)Masunaga, S. (1999): Toward a Time Trend Analysis of Dioxin Emissions and Exposure. 2nd International Workshop on Risk Evaluation and Management of Chemicals, Yokohama.
2)池田,吉田,中西 (1998): 環境科学会1998年会 つくば
3)Suzuki, N., Tosa, Yasuda, Sakurai, J. Nakanishi (1999): Organohalogen Compounds 40 267-270.
4)Yoshida, K., T. Shigeoka, and F. Yamauchi (1987): Chemosphere 16 2531
5)U.S. EPA (1994): U.S. EPA Estimating Exposure to Dioxin-Like Compounds Volume III: Site-Specific Assessment Procedures (External Review Draft)
6)Yoshida, K., S. Ikeda, and J. Nakanishi (2000): Chemosphere 40 177-185.
7)厚生省児童家庭局 (1998): 平成9年度母乳中のダイオキシン類に関する調査,中間報告. 報道資料(平成10年4月7日)
8)環境庁 (1996): 海域中のダイオキシン調査(平成7年度)
9)環境庁 (1996): 平成7年度非意図的生成化学物質汚染実態追跡調査
10)環境庁 (1998): 平成9年度公共用水域の水質におけるダイオキシン類調査
11)環境庁 (1998): 平成9年度非意図的生成化学物質汚染実態追跡調査
12)環境庁 (1999): ダイオキシン類緊急全国一斉調査
13)環境庁 (1999): 農用地土壌及び農作物に係るダイオキシン類調査
14)厚生省 (1998): 平成9年度食品中のダイオキシン類等汚染実態調査
15)厚生省 (1999): 平成10年度食品中のダイオキシン類等汚染実態調査
16)東京都 (1999): 食品からのダイオキシン類等摂取状況調査