私どもは1999年1月に横浜国大で開催したワークショップで日本のダイオキシンの環境放出がどのような変遷を辿ってきたかの推定を発表した(ここをクリック)。この中で1994年まで使われてきた水田除草剤CNPに毒性ダイオキシンが存在したという部分が特に波紋を呼んだ。自分たちはCNPにあれだけ高濃度で非2378塩素置換のダイオキシン(非毒性ダオキシン)が含まれているのだから、2378置換体が低い濃度で含まれていても何の不思議もないと思っていたが、それを生産した企業や所管官庁は強く否定した。また、学者の方からも存在を疑う声があった(この間の事情は中西教授のホームページの雑感3-37、3-42、3-44などに詳しい)。そういうこともあって、再分析も行った。しかし、CNPに関しては生産年度を追って原料に含まれる不純物を減らしたと考えれば特定の非毒性ダイオキシンの生成が減り、それに伴ってその減少の2乗の効果で特定の毒性ダイオキシン異性体含量も減るはずだという理論的考察と、我々の分析結果は大凡合致しており、我々の結果は妥当だと確信していた。
そして、再検討を経た結果も含めてこの7月8日の環境化学討論会(北九州国際会議場)で発表した(ここをクリック)。この発表では、TPN、NIP、MCPなどダイオキシン含量の少ない農薬については以前の報告が過剰であったので修正した。ダイオキシン含量高いPCPは再分析の結果でほぼオーダー的な間違いは無いので以前の報告のままとし、CNPは2378-TCDDの定量値はそれほど正確でないので、NDとして扱うことにした(この部分の詳細は中西教授の雑感3-52も参照されたい)。
ところで、この会議にはダイオキシン分析の大家スウェーデン、ウメア大学のRappe教授も参加され、緊急講演が持たれた。Rappe教授にはCNPを生産した三井化学から過去にCNPの分析が依頼されて、その結果毒性ダイオキシンは無かったことになっていること、今年になってRappe教授にCNPの再分析が依頼されていること、そして、三井化学が未だに毒性ダイオキシンの存在を否定していること、さらに、Rappe教授の今回の来日は三井化学の招へいらしいことから、Rappe教授は再分析でも毒性ダイオキシンが無かったとの結果を報告するものと私は考えていた。そして、今後もこの騒動が続くなら、過去から現在に至る環境汚染の状況の解析により、我々の結果を傍証していかなければならないと考えていた。
Rappe教授は講演の前半で2378体と非2378体をアルミナカラムで分けてから分析することで、2378置換体の分析定量が確実になるとの発表をした。そして、その例として非2378-TCDDを2378-TCDDとして誤って定量している例を示した。そして焦点のCNPが登場した。Rappe教授の発言は「このような新しい分析方法を導入した結果、CNP中の2378-TCDDは不検出からa few ppbであった」というものであった。これは、CNP中の毒性ダイオキシンの存在を認めたのだろうか? とっさに耳を疑った。講演は別の話題に移り質疑の時間はとられずに終了した。
その後のポスターセッションでは、Rappe教授が私のポスターを見に来られた。私の方からいくつか質問した。
「あたなたは先の講演でCNPに2378-TCDDが不検出からa few ppbで存在したと発言されましたが、その他の2378-置換体は存在しましたか?」
Rappe教授の回答は他の異性体をいくつか上げて、存在を肯定するものだった。
「いつ頃生産されたCNPを分析されましたか?」
Rappe教授「試料は送られてきたもので、生産年度は聞いていない。」
報道関係者「このポスターでは一部のCNP製剤に高い濃度の毒性ダイオキシンが報告されていますが、どう思われますか?」
Rappe教授「私どもの分析したものでは、ここで報告されている内で、濃度の高いものに相当するものはなかった。」
以上の様なやり取りがあり、私はRappe教授もCNPに毒性ダイオキシンを検出したのだと確認でき、ほっとした。
そして、私とRappeがこのようなやり取りをしていた頃、三井化学が1972年から1992年製造のCNPに0.2〜62 ng I-TEQ/g原体 の毒性ダイオキシンが含まれていましたという発表をしたのである。この学会に合わせた発表だったのだろう。
ここに今年初頭から半年に渡った「騒動」に終止符が打たれたのだと思う。しかし、私どもが分析したCNP製剤では、三井化学の発表の最高値よりまだ二桁以上高い物があった。したがって、さらに詳細な検討がなされると良い。
農薬のダイオキシン分析は意外に難しい。農薬ごとにダイオキシン濃度レベルが大きく異なることに加えて、一つの農薬でもダイオキシン異性体間の濃度差が極端に大きい。そういうことから、私どもの当初の分析結果に一部に不適切な所があり、ご迷惑をかけてしまったことはお詫びしたい。
それにしても、最後は真実が認められることを確認できたのが、今回の騒動における私の一番の収穫であった。