12月1日付けで、わが環境情報研究院(学府)に松田裕之先生が着任されました。
これまでは東京大学海洋研究所におられた松田先生は、野生生物の管理などの分野で大きな成果を上げられ、ご提案が行政施策などにも活かされています。例としては、国際自然保護連合により絶滅危惧種と指摘されたミナミマグロの最大持続収穫量の算定、フィードバック管理理論の北海道のエゾジカ管理計画における採用、環境省レッドリスト判定基準策定や愛知万博の環境影響評価における貢献などがあります。また、魚類群集構造を説明する進化理論の提唱と学術用語としての「exploitive mutualism (襲い分け)」を生態学において定着させています。さらに、『共生とはなにか』、『環境生態学序説』をはじめとする多数の図書の著書でもあられます。
松田先生は中西準子先生の後任に相当しますが、中西先生は平成16年3月までは本学に併任で残られます。
松田先生の加入で、当環境情報学府 環境マネジメント専攻 リスクマネジメントコースに生態リスク評価の専門家が加わったことになり、本コースの幅が広がるものと期待されます。
先日、研究代表者を務めた研究プロジェクトの事後評価ヒアリングがあった。もちろん、公の研究費をいただいて行った研究だから、その結果が評価を受けるのは当然である。しかし、書類上の研究報告を終えてから半年以上後で、また、既に種々の方法で関連した研究発表を行ってきたことからすると、また重ねてという感じを受けた。それでも、評価が下されるということの重圧を感じ、準備には多大な時間と労力を使い、そして、ヒアリングには緊張して臨んだ。準備に要した時間を、よい評価を受けるためだけではなく、新しい研究の進展のために使えたらどんなによいだろうと感じながら。
来年度から大学の独立法人化される。大学の評価から、多分、教官の個人の評価に至るまで、評価が花盛りになるのだろう。評価を受けるための準備作業は膨大で、また、評価するの側にも多大な時間と労力の負担が要求されるだろう。このようなことがかえって阻害要因にならなければ良いのだが。
考えてみれば、大学とか研究とかは特段の評価を設けなくても、いろいろな評価が既に自然の中で行われている。公表された論文は多くの人に読まれるかどうかで、それがその分野の進展に社会に影響を与えたかどうかで、自然に評価されるし、学生はそういった学問分野や社会の評価を参考にして、研究室を選ぶ。そういった圧力を大学教官はひしひしと感じながら生きているというのが実際なのではないだろうか。そうだとするなら、評価のために特段のことをしなくても、自然に評価がなされるようにするのが一番だ。そのためにはアクセスでき、比較かのうな情報公開が必要だろう。先のプロジェクトの評価も、研究費の額とそれによる成果の内容が簡単にみれるようになっていれば、社会が評価する。
これに対して、選挙のような評価はごめんだ。不祥事を起こした人が再選されるなんて。これは、学閥とか仲良しグループによる評価ということに相当するだろう。政治家もマニフェストを実行した実績で評価される時代が来ることを望むばかりだ。
38.−2003.11.21「環境研究の最新動向:SETAC 24th Annual Meeting in North Americaから」
11月9〜13日に米国テキサス州オースチンで開催されたSETAC(環境毒性化学会)の北米年次大会に参加した。オースチンはテキサス州の州都ですが、比較的小さな町です。町中で目立っているのはState Capitol(州の議事堂)で、Washington, D. C.にあるCapitol(米国連邦議会議事堂)を模して作られたとのこと。中に入ると大きなドームが1階から吹き抜けで、これには圧倒されました。その他には、たいした観光スポットも無い様子でした。
SETACに出席するのは3年ぶり位なので、既に変わって来ていたのかも知れませんが、私にとって新鮮だったことを報告します。
1.プラットホーム講演はビデオプロジェクターを使う人がほとんど、OHPは珍しい。
どこもかしこもMicrosoftのPowerPointによる講演です。ここまで独占されるもどうかと思いますが。ちなみに、私は今でもLotus Freelance派です。
2.毒性学 > 化学
SETACはToxicologyとChemistryの学会ですが、近年はToxicology関係の発表が多くなってきている。それも、ecotoxicologyやecological riskという観点が主流になっている。しかし、本当にecological risk評価が行われているかというと、そうでもない。曝露レベルとガイドライン値との比較程度に終わっているものが多く、population levelのリスク評価を行っているのは非常に少ない。
3.発表が増えている分野
医薬品・抗生物質、残留化学物質(POPs)としてポリ臭素化ジフェニルエーテル(PBDE=難燃剤)・水酸化PCB・メチルスルホン化PCB、それに、有機フッ素化合物などに関する発表が急増している。
医薬品・抗生物質に関するセッションがあり、ポスターも多い。環境モニタリング結果や毒性試験結果など。まだリスク評価にまでは行っていない。環境での起こりうる濃度からすると、水生生物への毒性より、耐性菌が拡大することのリスクが問題なのではと言ったところ。
POPs関係では、ダイオキシン類を対象とする研究発表が少ないのに驚く。ダイオキシン学会との棲み分けだろうか? POPsの生物蓄積の研究は比較的多く、PCB、有機塩素系農薬やPBDEなどを対象としている。米国は難燃剤の使用量が多く、PBDE汚染は他の国より深刻である。また、POPsの代謝産物に関する研究も増えており、水酸化PCB、メチルスルホン化PCB、水酸化PBDEなどに関する報告が目立ってきた。
有機フッ素化合物も急増しているテーマであった。また、分析方法に関するものが主流であるが、炭素鎖の枝分かれによる異性体別の定量などへと進化している。パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)やパーフルオロオクタン酸(PFOA)と言った話題になった化合物に加えて、アルコール体など大気に出やすいものまで対象が広がってきた。
以上の3テーマは本研究室でも取り組んでいるものである。
4.異性体分析:キラル
POPs関連の化合物における鏡像異性体の分別定量が進んできた。対象となる化合物は、o,p’-DDT、HCH、それに、PCBなどである。これらの異性体比率は生物反応(分解)により偏りを生じる。その程度を測定することで、分解反応を受けた程度が推定できる。環境や生物体内で、大きな偏りが測定されている例もある。また、食物連鎖でどうなるかも興味深いところである。こうした偏りから環境挙動を解析するのが一つの目的。もう一つのテーマは、鏡像異性体で生物への毒性影響が異なる可能性がある点。
5.米国に特徴的な分野
Homeland Securityというセッションがあったが、テロの影響でしょう。内容的には飲料水の安全確保がテーマのようでした。また、9.11 World Trading Center崩壊後の粉じんや火事からの汚染物質の放出に関する発表もありました。
日本ではほとんど議論になっていないテーマとして過塩素酸(perchlorate, ClO4)による地下水汚染があります。過塩素酸は米国で1950年代からロケット燃料や爆弾の酸化剤として生産され、また、肥料として使われるチリ硝石にも含まれているようです。ppbレベルで甲状腺によるヨウ素の摂取を阻害するなどの毒性があるらしい。1999年に分析法の改良があり、検出できるようになったため、最近は研究が急増しています。
6.今も健在なテーマ
スーパーファンドサイトなど多くの汚染サイトを抱える米国ではサイト毎の汚染と影響評価に関する研究は今も多い。金属、PCB、多環芳香族炭化水素などが対象である。また、農薬のアトラジン、カエルを対象とした研究などが引き続き多い。
7.室内汚染のセッションが登場
SETACで室内空気汚染のセッションというのは初めてではないだろうか。対象物質は、クロルデン、PBDE、フタール酸エステル、一酸化炭素など。
8.環境鑑識学(Environmental Forensics)のセッション、今年は無し
昨年はあった環境鑑識学のセッションは、今年は無し。汚染源解析に関連したセッションとしては、屎尿汚染源の追跡というのがあっただけ。本研究室からのダイオキシンやPCBの発表は堆積物汚染や大気汚染の中に分類されてしまった。これは大変残念な状況であった。
全体としては毒性影響に関する発表が非常に多かったので、以上の総括は私の興味により少し偏ったものになっていることをご了承いただきたい。
37.−2003.10.24「ホルモン療法のリスクトレードオフ」
昨年、Women’s Health Initiative (WHI)によるホルモン置換療法(Hormone replacement therapy = HRT)の効果を調べる大規模な臨床研究が、この療法により侵襲性の乳ガンリスク高くなるということで中止になった。ホルモン置換療法とは更年期障害の症状を緩和するためホルモン剤を処方することであるが、中止に至る根拠のデータが最近の米国化学会で発表された記事を紹介する(C&EN, 2003.10.6による)。
1991年まではホルモン置換療法は更年期障害を緩和し、骨を強く保ち、心臓病と結腸ガンのリスクを下げ、認識力の低下を遅らせるとされてきた。他方、同時に乳ガンをわずかに増加させ、venus血栓症と肺塞栓症の発生を増加させると警告されてきた。これに決着をつけるべく、1990年代に大規模な臨床研究が計画され、その中で16,608人の閉経後の女性が選ばれてHRTの影響が調べられた。参加の女性はエストロゲン(女性ホルモン)とプロゲスチン(黄体ホルモン)の組み合わせホルモン療法を受けるか、あるは、偽薬を処方された。ちょうど五年経過後、WHIはHRTのリスクは便益を上回るとして、実験を中止にした。結果は、HRTは偽薬に比べて、
乳ガンのリスク 24%増加
心臓病のリスク 29%増加
脳卒中のリスク 31%増加
肺塞栓症のリスク 113%増加
痴呆のリスク 100%増加
他方、
強い骨の維持で、骨折のリスク 34%減少
結腸ガンのリスク 37%減少
だという。
更年期障害の緩和という外見的な利便性からとられてきた療法であるが、長期的な影響では、リスクの方が高いという結論になったわけだ。このことは、多くの治療法が、表面的、短期的な効果により採用されており、長期的な影響の評価はなされていないこと想像させる。いろいろな療法を疑ってかかる必要がありそうだ。
ただ、注意すべきは、HRTによる影響は人によって違いがあるともされることだ。例えば、すでに30年間HRTをして何とも無かった場合は、続けても問題ないだろうと言うのだ。これからすると、米国人における調査結果を、がんの発生率も全く異なる日本人に当てはめるべきではない可能性がある。
なお、ホルモン療法によるガンのリスクの増加は、遺伝子に作用する活性を持つエストロゲンの代謝物が原因らしい。
化学物質のリスク評価に興味のある人なら、米国環境保護庁(EPA)が作成しているIRISを知っているだろう。IRISはIntegrated Risk Information Systemの略でEPAがホームページで公開しているデータベースである。一つの化学物質に関する有害性の情報はたくさんある。IRISではそれらの情報を収集し、信頼性などを考慮して総合的にどの程度のリスクを有する化合物であるかを判断し、その大きさを総括した値(Reference Dose(RfD)や発がんのunit riskやslope factor)を提示している。多くの実験データのレビューに基づいて提案されているので一定程度の信頼性がある。従って、工業界、規制当局、環境市民団体まで広く利用されている。
IRISは1986年に最初に作られた。その後、更新されてはいるが、現在ではリストされた460化合物の内、約37%は新しいデータを取り入れて改訂する必要があるとEPAは考えている。そして、毎年50化合物ずつ改訂していきたいと議会に提案している。これには毎年700万ドルかかるという(現在[2003年]の予算は180万ドル)。しかし、まだ議会で承認を得られていない。
多くの化学物質についてリスクを比較する場合、こうした信頼できるデータベースが欠かせない。しかし、それに新しいデータが盛り込まれていかなければ、役に立たなくなってしまう。この意味でデータベースとは常に大きな作業を要求するものである。しかし、このようなデータベースの維持や、発表されたデータを集めてそれらを評価してレビューする仕事は必ずしも研究者の成果として評価されない。そういった意味から公的に整備を支援していくことが欠かせない。IRISのように国際的に利用される情報を広く提供することは、直接に利益が見込まれるわけではないが、大きな国際貢献の一つであり、公が果たすべき重要な役割の一つだと思われる。