46.−2005.01.06「ウクライナ共和国大統領候補のダイオキシン中毒」

正月の話題としては相応しくないですが、年末の話題について一言。
 ウクライナの野党リーダーで、昨年末の再選挙で大統領に当選したViktor Yushchenko氏は2004年9月にダイオキシンを盛られた可能性があると報道されている。確かに、彼の顔面は有機塩素中毒に特有なクロロアクネの症状がみられる。同氏を診察したRudolfinerhaus病院のMichael Zimpfer博士の発表では、血液中ダイオキシン濃度は一般人の1000倍だったという。また、血液の分析をしたというFree University in Amsterdam(アムステルダム自由大学)のAbraham Brouwer教授によれば、血液中濃度脂肪当たり100,000 pg-TEQ/g-fatだったという(12月14〜15日頃の各種メデイア)。これは、普通人の20 pg-TEQ/g-fat程度と比較すると、約5,000倍程度になる。この結果がどのような方法による測定なのかがメディアの報道では述べられていない。ところが、米国化学会のChemical and Engineering News誌(2004年12月20日発行)(1)では、はっきりとCALUXバイオアッセイ(chemically activated luciferase gene expression)によると記載している。バイオアッセイで測定できるのは多様な種類のダイオキシン類の総合したダイオキシン様活性として強さであり、どんな種類のダイオキシン化合物による中毒かは問わないことになる。そこでこの記事では、詳細はGC/MSによる結果待ちとしている。
 他方、12月17日付けの各種メディアではAbraham Brouwer教授がダイオキシンの中身は2,3,7,8-Tetrachlorodibenzo-p-dioxin (TCDD)と明言したと報じた。これが本当だとすると、1998年春にウィーンで起こったダイオキシン中毒事件と似てくる(2, 3)。この事件は同じ会社に勤める2名の女性がクロロアクネになり、血液からTCDDが144,000と26,000 pg/g blood fatで検出されたという事件である。この中毒の原因については、確かな情報を持たないが、伝聞では犯罪事件のようである。144,000 pg/g blood fatの女性のクロロアクネ症状はかなりひどかったようだが、命には別条なかった。今回の100,000 pg/g fatはこれに次ぐ、人で知られている2番目に高濃度の中毒と言うことになる。
 ところで、私は最初にこのダイオキシン中毒報道を聞いたときは、PCB中毒なのではないかと思った。数年前のベルギーでのニワトリのダイオキシン汚染と騒がれた事件は実は、PCB汚染だった(PCBの幾つかの異性体はダイオキシン類の仲間)。また、PCBなら、廃PCBとして容易に入手可能だろう。他方、純度の高いTCDDの入手は、自分で合成するのでなければ難しい。市販は分析用標品や動物実験用くらいだろうから、値段も高いし、微量でしか売っていない。何れにせよ、これらの場合は犯人には研究機関関係者などが含まれる可能性が高い。
しかし、なぜTCDDを犯行につかったのか大きな疑問である。毒殺が目的なら他に入手しやすい薬品がたくさんあるだろう。また、ダイオキシンは長期にはいろいろな慢性毒性を引き起こすが、急性毒としてはそれほど効かないから、その辺りを熟知する人の犯行なら、毒殺に使うのも奇妙だ。急性毒としては効かないことで、犯行が気づかれるまでの時間稼ぎをした可能性は残るが。
 いずれにせよ、何らかの偶然や事故でTCDDを大量に摂取することは考えられないので、故意によることは確実であるが、奇妙な事件だと言うしかない。
 さて、血液中のダイオキシン類で濃度が上昇していたのはTCDDだけなのだろうか? まだGC/MSの分析結果の詳細についての情報がないので分からないが、TCDDを中心とするいくつかのダイオキシン類の濃度が上昇しているのなら、2,4,5-TなどのTCDDを比較的高濃度に不純物として含む化合物を使った可能性もでてくる。
このように、詳細な分析結果が明らかになれば、その組成を使って原因や犯人を探ることが可能になるだろう。当研究室では環境汚染の原因究明にダイオキシンの組成情報を利用してきたが(環境鑑識学)、これは犯罪捜査のための鑑識である。

1) Bette Hileman: Mstery - Yushchenko Poisoing, C&CN p. 13 (Dec. 20, 2004)
2) A. Geusau, K. Abraham, G. Stingl and E. Tschachler: Clinical and laboratory follow up in two patients severely contaminated with 2,3,7,8-tetrachlorodibenzop-dioxin, Organohalogen Compounds Vol. 55, 295 (2002)
3) A. Geusau, O. Päpke and K. Abraham: Blood kinetics in two patients severely contaminated with 2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin, Organohalogen Compounds Vol. 55 297 (2002)