47.2005.04.28「松井三郎氏の中西準子氏に対する名誉毀損訴訟を検証する
(その1)回答前の提訴の不思議」

京大教授松井三郎氏が中西準子氏を名誉毀損で訴えたと聞いて、俄には信じ難かった。訴訟の原因になったシンポジウムに私が出席していなかったことや、名誉毀損とされた中西準子氏のホームページは既に中西氏自身により引き下げられていたこともあり、事実関係を十分把握してからと思ったので、発言を控えてきた。現時点では、訴状の内容が明らかになり、松井氏の当該シンポジウムで用いたスライド(パワーポイントのプレゼンテーション)も見ることができること分かったので、これら既に公開された情報に基づいて、本訴訟について検証したい。

名誉毀損とされた行為
訴状(「化学物質問題市民研究会」のホームページに掲載されていたが、53日に削除された)によれば、両氏が出席した環境省主催の「第7回内分泌かく乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」の第6セッション「リスクコミュニケーション」について、中西氏が平成161224日付けで自分のホームページ「雑感」に掲載した「環境省のシンポジウムを終わって−リスクコニュニケーションにおける研究者の役割と責任−」と題する記事の中において、松井氏のパネリストとしての発言などを伝えた部分において名誉を毀損する内容があったという。ここでは、その内容が名誉毀損を構成するほどの物か否かについてはひとまず置くことにして、経過について検証する。
松井氏は2005117日に中西氏にメールを送り、上記記事の内容について抗議した(訴状による)。それに対して、中西氏は120日に、当該ホームページにおいて、2人から抗議のあったことを述べ、その1224掲載の記事を削除した。しかし、訴状によれば、「記事全体を削除した。しかし、抗議したのが原告であることも、原告への謝罪の意志も明示されていないため、原告の社会的評価は依然として低下したままであって、到底、名誉回復の措置が講じられているとは言えない」と主張している。

中西氏は3月末までに回答するとしていた。なぜ待てなかったのか?
 訴状には記載されていないが、中西氏が2005117日に当該記事を取り下げるに際して記したことは、以下のとおりである。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak286_290.html
(引用開始)
1.お二人の方から、抗議がありました。
2.さらにお一人の方から、スチレン低量体に対する記述が間違いであるというご指摘を頂きました。
1.に関しては確かに、私に非があると思いました。2.については、基本的には見解の相違、あるいは文章表現の簡略化による問題ではないかと思っていますが、送って頂いた論文リストの中に、私が読んだことがないものもあり、或いは新しい情報を知らなかった、また、私の認識が固定化してしまっていて、新しい情報・発見による修正が行われていなかったこともあったのかと危惧しております。
したがって、きちんと調べて私なりの見解を出すまでの間、286の本文は引き下げることに致しました。
1.に関しても、2.に関しても、もう一度検討し、私なりの考えを発表します。私に非のあることについては、その時点でもう一度謝罪させて頂きます。
withdraw
に至りましたことを、読者の皆さんに謝罪致します。
現在、年度末の仕事に追われており、なかなか時間を作ることができません。やや遅くなることをお許しください。どんなに遅くなっても、年度内には結論を出します。
(引用終わり)
 今回の訴訟の対象となっているのは、「1」であるが、それについても、年度内(2005331日)までに結論をだし、非があれば、その時点でもう一度謝罪をすると述べている。
 訴状が出されたのは316日であり、中西氏が設定した期限が来る前である。なぜ、期限を待って、それで謝罪が無い、あるいは、不十分だということになるまで待てなかったのか。これは大変不思議である。(なお、提訴されてしまった以上、3月末に中西氏が本件に関しての見解を公表できなくなったのは当然である。)
 更に、抗議に対応して、直ちに中西氏が記事を引き下げたという事実がある。掲載したままで、再検討が終わるまで待ってくれと言ったわけではない。この事実は、正式な謝罪がまだ無いにしても、抗議に対して真摯に対応したと結果と見ることができる。抗議を無視したというのとは訳が違うのである。
以上の事実経過を見ると、中西氏の最終的な対応を待って判断するのが良識ある人のすることではないだろうか。これが、今回の名誉毀損訴訟の第一の不可思議な点である。
(以下、次回に続く)
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