第4回 化学物質のリスク評価・リスク管理に関する国際ワークショップ発表原稿
化学物質のリスク評価研究の成果とさらなる飛翔
−リスク評価手法の研究の進展−

中西準子、蒲生昌志、巌佐庸、田中嘉成


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1.はじめに
 私達は、1996年の7月から科学技術振興事業団のCREST(基礎研究推進事業)の一つとしての支援を受けて研究を行ってきました。そして、毎年このワークショップを開いてきました。このCREST研究は今年の3月末で終わりますので、このWSは今回が最後です。このprojectのタイトルは「環境影響と効用の評価に基づく化学物質の管理原則」です(slide2)。この研究のoverviewは、Proceedingsの付録、図A1にも示しました(slide3)。


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 まず、化学物質の使用に伴う環境影響を定量的に評価します。これをリスク評価と言います。リスクは、人の健康へのリスクと生態系へのリスクに分けて考えます。他方、化学物質の使用に伴うベネフィットを評価し、それらのバランスをとって、化学物質を上手に使っていこうという考え方です。
 人の健康リスクにも、種類の違いがあり、生態リスクにも当然種類の違う多種のリスクがあります。ここで、こういう例を考えましょう。(slide4


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 Aという化学物質に発ガン性があるという理由で禁止され、Bという物質が使われるようになりました。ところが、Bは濃度が高いと神経系に障害を与えることが分かっています。このとき、Aを禁止することで、どのくらいリスクが減少したのかということを知るためには、発がんリスクと神経系リスクとが比較できなければなりません。

  バランスのとれた対策をとる、或いは、環境対策の効率を評価するには、このような違ったリスクを比較できることが最も重要なことです。

  われわれの研究では、研究の当初から、「異種のリスクを比較できるような指標の開発」を目的にしてきました。それは、米国などで行われているリスク評価とはかなり、違っています。彼の国は、異種のリスクを物理的、客観的に比較する尺度はもっていないのです。そんな馬鹿な!と皆さんは思われるでしょう。でも、本当です。異種のリスクが比較できない状態で、どうやってリスク管理ができるか?皆さんも疑問に思うでしょう。それは、リスク評価が、これ以下のリスクなら安全ですという、安全を証明するために使われてきたからです。安全を証明するためなら、比較ができなくても用は足りるのです。個々別々に安全を証明すればいいからです。

  しかし、我々のprojectは最初から、異種のリスクを比較できる尺度を作る、そういう評価体系を作る、それを使ってリスク管理をおこなう、ということを目標に研究してきました。欧米で使われているリスク評価の体系と違うものを目指してきたこと、そして一定の成果をあげたことを強調したいです。

  ここで、参加研究者の一覧と、所属を示します。(slide5


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 主たる研究員は、横浜国立大学環境科学研究センターと九大、さらに工業技術院の資源環境総合技術研究所の所属です。研究費の使途内訳はslide6に示す通りです。


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 科学技術振興事業団からの研究費は、5年間の総額でほぼ7億円です。大きな支出は、設備費と人件費です。PDや研究補助員ですが、概ね6人程度がこのfundで雇用され、この研究を支えてきました。このような資金の使い方ができるのが、このfundのいいところです。それはともかく、これだけ多額の研究費を使わせて戴く訳ですから、成果を上げて皆さんに返さねばならない、その一心で頑張ってきました。

  これから、本プロジェクト研究の5年間の成果を報告します。しかし、時間が少なく、とても全体をお話しすることができませんので、今日は、リスク評価手法の開発という部門で、どういう成果があったかということに話しを絞ります。ただ、最後に、少しだけ発生源解析手法開発の研究成果には触れたいと思っています。

2.ひとの健康リスク評価手法(直接法)
 人の健康リスク評価のための尺度として、どういうものが使われているかを、つぎのslideに示します(slide7)。


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 ここに示すのは、健康状態を直接評価する尺度です。間接的に評価する方法があるのですが、それは後で触れます。この表は、傷害、がん、がんではないが致死的な影響、致死的でない影響について、どういう指標で評価されているか、それは他のリスクと比較できるかという視点でまとめたものです。米国等で通常行われている、行政目的のリスク評価手法では、致死的な傷害は、死亡数をもってリスクを評価します。発がんリスクも同じです。しかし、がん以外の影響については、ハザード比で評価されますので、他のリスクとの比較はできません(slide8)。


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 ハザード比(Hazard quotient)とは、暴露量を許容量で割った値ですが、1より大であればいけないということは分かりますが、それ以外の情報は得られません。また、HQが1であっても、症状の重いものも、軽いものもあるので、リスク比較ができないのです。

  大気汚染や職業病を対象にして、疫学調査の結果に基づいたリスク評価が行われることがあります(slide9)。


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この場合は、死亡率に基づいてがん以外の病気による死亡数も計算されます。死に至らない、やや軽症の病気のリスクも評価されていますが、疾病率や入院日数率などを指標にして評価されており、入院日数と死亡数をどのように比較するかについての検討は行われていないので、これらの結果も、このままでは、リスク比較に使えないのです。

 世界各国で政策評価が行われていますが、こういう現状のために、直接的な健康リスク指標を用いた場合には、致死的な事象だけが比較や評価の対象になっている場合が多いのです。

 最近は、死亡数にしても、人生の初期におきる死亡と、人生の終期におきる慢性病による死亡が同一に扱われてしまうことは適当ではないと考えられるようになり、死亡によって失われる寿命(LLE)を指標にする考え方が出てきました。ひとつの典型としてHarvard大学の研究を紹介できます(slide10)。


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  Harvard大学での研究では、それぞれの病気特有のLLEを用いず、がんは10年、職業病は30年、事故は35年というように単純化しています。いわば、病気の発生状況による重み付けをしているという状況です。

 この指標を使って、多くのリスク削減対策の経済効率評価をしていますが、病気の発生状況による死の重み付けは行われていますが、病気の重篤度に対する重みづけは行われておらず、また、評価されているのは致死的なケースか、発がんがほとんどというのが実態です。

 私たちは、種類の異なる人の健康リスクを評価するために、LLE(損失余命)という尺度を用いるのがいいと主張して、この研究を始めました(slide11)。


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  LLEという点では、Harvard 大学と同じですが、内容は大いに違っています。れわれのapproachは、病気の重篤度を評価するために、病気毎のLLEを用いること、さらに、致死的でない病気についても、病気の苦しみから生ずる寿命短縮を評価しようとするものです(slide12)。


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  つまり、死に至らないリスクについても、致死的なリスクと同じ尺度で評価しようとするものです。がん以外では、比較をおこなったケースは、メチル水銀中毒(SMRデータと生命表)、クロロピリフォス(問診結果と死亡率)、カドミウム、トルエンなどによる影響です。

 われわれの評価法は、致死的なものしか見ていないという批判が常にありましたが、それは誤解です。その誤解は、LLEが致死的な影響のみを評価する尺度として使われてきたことから、出たものと思われます。むしろ、我々の評価手法は、直接評価手法では、世界で唯一異種のリスクを比較できるものなのです(slide13)。


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3.蒲生昌志の結果
 蒲生らは、LLEを尺度にして、平均的な日本人のリスクを多くの物質について、評価し比較しました。それを、つぎのslideに示します(slide14)。


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 明日本人から報告がありますので、ごく簡単に説明しておきます。平均的な日本人の集団についてのリスクです。縦軸は、リスクをLLEの日単位で表したものです。この中では、diesel排ガスによるリスクが一番高いです。しかも、これはdieselによる肺癌のリスクのみです。

 水道水中に含まれる化学物質は、1物質で10-5の発がんリスクで規制されていることが多いですが、10-5のリスクは、LLEの0.05日に相当します。ここには、発がんリスク以外のリスクも多くあります。カドミウム然り、水銀しかりです。こういう比較は、LLEを尺度とする我々の開発した手法をもってはじめて可能になったのです。

4.人の健康リスク評価のプロトコール
 LLEを使うリスク算定の手 順はprotocolというかたちで、Proceedingsに示してあります。ここでは、その一部のみ、お話しします(slide15)。


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LLEを尺度とするリスク(RISK)算定のためのプロトコールを、以下の4ケースにわけてまとめました。
1) 発がんリスク
 1−1)個人リスク
 1−2)集団のリスク
2) 非がんリスク(ただし、集団リスクのみ)
2−1)用量反応関係が分かっているとき
2−2)NOAELしか分からないとき

 まず、発がんリスク算定の手順をお話します(slide16)。


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 通常、発がんリスクは確率で表現されます。それが、小文字のriskです。ここで、Eは暴露量です。Eの代わりにBBという体内負荷量を使うこともあります。LLEを尺度とするリスクを、大文字で書きました。これを、算出するためには、ここにこの病気の重篤度を示す、12.6年をかけるのです。がんによる一人の死が12.6年の寿命短縮をもたらすからです。

 つぎに、非がんリスクです。用量反応関係が分からず、NOAEL(無作用量)のみしか分からない場合の方法を、説明します(slide17)。


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 このときは、暴露量、又は体内負荷量がNOAEL(無作用量)を超える割合が、確率としてのリスクであると定義します。これは、リスクの過大評価ですが、これしか情報がないのでやむをえません。式では、NOAEL/BBが1以下の確率となっていますが、同じ意味です。この確率をMonte Carlo simulationで求めるのです(Slide18)。


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  このとき一番大切な点は、暴露量にも分布があり、感受性にも分布があるという認識です。これを私たちは、個人差とか不確実性とよびます。言い換えると、非がんリスク評価では、この個人差をどのように見るかがポイントなのです。つまり、たまたま強い曝露を受けた人、たまたま感受性が高い人の割合がリスクなのです。このようにして求めた確率リスクに、その病気の重篤度(severity)をかければ、LLEを単位としたリスクが求められるのです。

 severityの値の求め方については、蒲生が明日、詳しく報告します。個人差の分布は、リスク評価で重要なパラメータですので、ProceedingsのTable A1に示しました(slide19)。


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5.人の健康リスク評価(間接法)
 今まで、健康状態の直接評価法について述べました。これとは別に、間接評価法があるのです。それを用いると、非致死的な影響について、比較を行うことができます。それは、CVMという方法です。ある病気や症状について、その苦しみから逃れるためにいくら支払う意思があるか{支払い意思額(WTP)}を聞き、その大きさによってリスクの大きさを評価するのです。これは、英国や米国では広く調査されています。ただ、直接評価法と同じような信頼度があると考えられているわけではありません(slide20)。


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  この指標は、リスクの大きさを客観的に表現するものではないので、回答者にリスクの大きさについての予備知識がない場合は、噂や雰囲気に左右される要素は大きいのです。しかし、社会政策では、多くの国民が回避したがっているリスクの大きさを知ることが重要なので、その点では、いい点もあります。我々が、なぜこの評価手法を使わなかったかについては、明日、岡 敏弘が報告します。

 もう一度、人のリスク評価の尺度について考えましょう。つぎの図を見てください(slide21)。


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 通常規制に用いられている評価の尺度は、客観的ではありますが、がんと致死的な影響しか比較はできません。我々の方法は、すべてを網羅する意図で開発しましたが、症状の軽いものには鈍感で、やはり難しいです。一方、CVMによる方法は、軽症の影響も評価できる点でいいですが、客観的ではありませんから、これを重い影響の評価に使うのは危険です。しかし、一方で、客観的ではないが、こういう尺度が国民の好みを反映していると言う点は、良い点で、見逃せません。

 直接法と間接法の中間にある手法としてQOL(生活の質)を使った生活の質調整生存年(QALY)という指標が医学の分野にあります(slide22)。


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  これが、環境問題でも広く使われる兆しがあり、我々もまた、これに注目しています。この位置づけでは、この図(slide23)の中間に位置し、LLEが、軽度の症状を評価するには感度が悪いという欠点を補い、なおかつ、LLEとの関連がつきやすいと考えています。しかし、本当に使えるか否かは、調べてみないと分かりません。

 QOLの求め方の原理を説明します。QOLには多くの種類がありますが、そのひとつの説明図です(slide24)。


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 まず、ある病気、例えば腎臓病になると、それによってどの程度機能が不自由になるかを、患者や医者に聞きます。そして、ここに×をつけます。つぎに、今度は別の人の集団(必ずしも患者ではない)にinterviewして、この程度の症状であると、生活の質は、完全な健康と比較して、どのくらいかを聞くのです。それが、0.6なら、腎臓病を患っている間の生活の質は0.6であるとするのです。

 このようにして求められたQOLを使い、それに病気の年数をかけると、質調整生存年(QALY)が求められます(slide25)。


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 これを、使うと、面積B−面積Aの差がリスクだというかたちで求めることができるのです。tAとtBとの差は、先に述べたLLEです。

 リスク評価にもまた、市民の選好が大きく取り入れられなければならないと私たちは考えています。しかし、一方で、市民の判断を支えるための、できるだけ客観的な判断材料が必要です。そうでなければ、風評被害が続出するでしょう。その意味で、われわれは、市民の選好度と、やはり何らかの客観的なリスク尺度とを共存させるシステムを作ろうと思うのです。QOLは、その意味で、かなり自由に設計ができます。上手に設計して、QALYとWTPを環境政策評価にどのように使うか、我々の今後の課題です。  

 つぎは、生態リスク指標の話です。

6.生態リスク
 本プロジェクトは、生態リスクを種の絶滅をエンドポイントにして評価する、つまり生態リスクとは絶滅確率であるという考えで出発しました(slide27)。


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それは、ここに示す理由によるものです。
@ 種の絶滅を防ぐことは、多くの人にとって生態系保全の共通の目標になりうる
A 化学物質の影響と開発等の影響を同じ尺度で評価できる(比較できる)
B すべての生態影響を、未来影響として把握する方がいい


Slide28, Slide44

slide28)生態影響評価モデルは、一般に個体レベル、populationレベル、エコシステムレベルに段階的に分類されていますが、この枠組みの中で考えると、われわれの研究は、populationレベルでの影響評価(巌佐庸、箱山 洋、中丸麻由子、松田裕之、田中嘉成)モデルとecosystem level モデルと位置づけられます。本日は時間がなくてお話しできませんが、エコシステムモデルでは、種間相互作用(宮本健一、内藤 航)、食物連鎖に伴う生物濃縮、種の生態学的重み付け(岡 敏弘)を取り入れました。わが国で生態リスク評価と言われているものは、個体レベルの毒性評価にすぎません。今日これからお話しする、絶滅リスクはpopulation-levelの影響評価モデルです。

 絶滅リスクの研究は、まず、絶滅待ち時間、Tをどのように推定するかから、始まりました(slide29)。


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  絶滅確率は1/Tでしたから、われわれのプロジェクトは、当初1/Tで生態リスクを評価するという考えでした。しかし、明日、巌佐が詳しく述べるように、1/Tの尺度は、希少種については、そのリスクを表現するに適切な指標ですが、個体数の多い安定な生物種への影響を評価するには、あまりにも鈍感な指標であることが分かってきました。そこで、われわれは、希少種については1/Tを、安定な種についてはlogT或いはTそのものを尺度とすることにしました。三つの尺度についての結果を、これから述べます。

7.松田裕之の結果
  ここに松田裕之の結果の一例を示します(slide30)。


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 詳しくは、明日本人が発表します。これは、愛知万博が予定されている海上の森に生息する希少種についての計算結果です。左の図が、この種の絶滅確率です。右の数値が、愛知万博の実施に伴う絶滅リスクの増加分です。しばしば、シデコブシが問題になりましたが、むしろ一番あぶないのはサガミトリゲモであることが分かります。また、EXPOによるリスクが一番高いのは、ハンノキです。これを見ると、愛知万博の際に何に気をつけなければならないかがよく分かります。

8.巌佐らのapproach
 つぎに、安定な種を対象にした場合について述べます。安定な種では、Tが大きく、絶滅リスクはかなり小さいのです。だからと言って、すべてが希少種になるまで対策をとらないのでは困ります。そこで、logTやTを尺度にして考えることにしたのです。LogTやTを尺度とすることが良い点は、logTやTの減少量を、相当する環境収容力(K)の減少量として表現できることです。つまり、最大限許される生物の生存量、別の言い方をすれば、生息地の減少として表現できることです。私たちは、この指標の方が、一般の人が環境影響を実感できると考えています。また、これを環境基準値の設定に用いることもできるのです。また、面的な開発や森林の伐採の生態系への影響と化学物質による影響を比較できるのです。

 最近、米国の、Exponent社というコンサルタントが、米国化学委員会の求めにより、生態影響モデルの現状と評価についての報告書をまとめました(slide31,slide32)。


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  その中で、我々の研究グループの研究は高く評価されています。巌佐らと田中らの研究は、個体群影響評価モデルの、scalar abundance modelの中に位置づけられ、その評価は、この図に示すようになっています。三つ星が良い、一つはだめということです。

 ここでは、まずIwasaらの研究について報告します(slide33)。


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 詳しくは、明日Iwasa自身がお話ししますので、ここではさわりだけを話します。

 Iwasaらは、個体数(X)の時間変化を内的自然増加率(r)、環境収容力(K)、環境変動(σe)の三つのパラメータで記述する確率微分方程式の基本式を提案しました。内的自然増加率rはこの勾配、Kは平衡の個体数です。さらに、それに化学物質による影響因子(δ)を加えて、化学物質の影響下での個体数Xの時間変化を表現する式も提出しました(slide34)。


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 ここで、自然状態での 内的自然増加率(rs(0))、環境収容力(K(0))、と個体数の変動係数(CV)の値があれば、絶滅待ち時間(T(0))を求めることができます。

 つぎに、化学物質存在下での内的自然増加率(rs')と K'、CVの値が与えられれば、logT'を求めることができます。こうして、化学物質の曝露によるTの短縮量が求められます(slide35)。


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 Iwasaらが提出した式を用いると、ΔlogTから、それに相当するΔK/-Kを算定できるのです。これを、環境収容力換算リスク、生息地消失換算リスク、或いは単にリスク当量とよぶことにしましょう。つまり、絶滅待ち時間の変化を、生息地サイズの消失量として表現できたのです。ただし、ΔKはrs(0)がrs'に変化することによって生ずるKの現実の変化量ではなく、あくまでも仮想的な値であることに注意してください。その意味で、字体を変えました。

 ここまでKの減少を生息地の減少と呼んできました。これは、面積の減少に値するとは必ずしも言えません。十分広い面積のところでは、Kの減少は面積の減少に対応するでしょう。しかし、面積が小さくなると、ほんの少しの面積の変化でKは急激に減少します。こういうことも考えなくてはなりません。

 Slide35は、生息地消失リスクとして表現した時と、1/Tで表現した時の違いを示しています。1/T、つまり絶滅確率で評価すると、濃度の低いところはゼロになってしまいます。しかし、ΔK/Kで見ると、生息地が減少したと同じような変化がおきているのが分かります。こういう小さな変化を見過ごさず、しかも、他のリスクと比較しつつ管理を行うには、ΔK/Kも有効だと考えているのです。

 中丸らは、DDTがセグロカモメとハイタカに与える生態リスクを、リスク当量というかたちで算定し、今回報告します。詳しくは、明日の報告をきいていただきますが、ここでは、セグロカモメについての結果を一枚だけ図で紹介します(slide36)。


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  横軸は海水中のDDT濃度です。その時のリスク当量が縦軸です。

 ここで生息地20%減少に対応する海水中濃度を環境基準に決めるというような決め方が可能です。なぜ、20%なのかなどについては、また別の機会に考えましょう。ただ、この結果からすぐに結論を出すほどには、研究は成熟していません。この結果を見て戴くと分かりますように、この結果はKの値に大きく依存しています。しかも、Kの値を知ることは一般的に非常に難しいです。そのことを考えると、まだまだ研究が不十分なのです。

9.田中らのapproach
 つぎに、プランクトンなどを対象にしたTanakaらの結果を報告します(slide37)。


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  これも安定な系ですが、Kは100万にもなり、Iwasaらの対象とは随分違うのです。尚、巌佐らの方法と、田中らの方法との比較を、ProceedingsのAppendix、Table A2(英文)に示しましたので、参考にしてください(slide38)。


Slide38

 田中らは、Landeの式とスケーリング則を使って、絶滅待ち時間(T)と化学物質との関係を解きました。この場合、絶滅待ち時間(T)は、内的自然増加率ri(0)、環境収容力Kとさらに、riの変動係数vから求めることができます。この結果はIwasaらの結果と非常に似ています。両者はその基本骨格で類似点がありますが、いくつかの違いもあります。まず、Landeの基本式での内的自然増加率とIwasaらのそれとは、少し意味が違います。そのため、Iwasaらの式のrにはsの添え字をつけ、Tanakaらのrにはiをつけました。詳しくは、Proceedings付録のTableA2を見て戴きたいと思います。なぜ、違うか、どちらが正しいかという疑問を皆さんが持たれるでしょうが、そのように式が一義的に決まるということはないと考えてください。多分、将来どちらが使いやすいかは議論されるでしょうが、どちらが正しいということはあまり議論されないと思います(slide39)。


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 Landeの式で化学物質の影響下でのri'を求めることができれば、化学物質の影響下での絶滅待ち時間を求めることができます。

 しかし、化学物質に曝露された時の内的自然増加率ri'を求めることは実は、とても大変なことです。また、こういう値を求めることができるような実験も少ないのです。化学物質曝露の影響があるときのri'を求めるためには、生物の年齢別の毒性データが必要です。つまり、つぎの図(slide40)に示すようレズリー行列の値が、それぞれの化学物質の濃度について必要なのです。


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 Tanakaらは、手に入るだけの文献を調べ、化学物質とrとの関係が報告されているもの、及び、計算すればrを計算できる文献を約47報拾い出し、化学物質の濃度とrとの関係を整理しました。試験生物はほとんどが動物プランクトン、中でもミジンコです。

 その結果、プランクトンについて、次の図(slide41)に示すような関係式を見付けました。


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 つまり、化学物質の濃度がxのときの、内的自然増加率riを、急性毒性値のLC50値から求める回帰式を得たのです。現実的な視点から見ると、この回帰式は極めて重要です。急性毒性値のLC50の値は、はいて捨てるほどあります。それを使えば、ri(0)さえ分かっていれば、ri'の値が推定できるのです。ただ、この関係は、主としてミジンコで求めたものです。他の生物種でどうなるかは、今後の課題です。

 23の系について、LC50値の1/10と1/100の濃度での、化学物質によるTの減少%とリスク当量ΔK /Kの減少%を、田中が計算した結果をProccedingsに示しました(slide42, slide43)。


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  生息地消失換算リスクは、Tの削減%の1/10程度で、それよりは小さいことが分かります。つまり、多くのプランクトンにとって、LC50の1/10の濃度で生息することは、生息地が数%から0.1%程度減少するリスクに等しいということです。もう少し言えば、十分大きな水面積のあるところに、LC50の1/10程度の有害物を排出すると、それは、生息地を数%から1%程度埋め立てた時と同じ程度のリスクがあるということです。ここでは勿論厳密な話をしているわけではありません。大まかな見当を言っているのです。ここで、重要なことは、田中らの研究で、個体レベルの毒性データを、population-levelの影響予測に使える道が開けたことです。

  これにより、同時にLC50に意味も明らかになりました。LC50の生態学的な意味は、生物種によって大きく異なるでしょう。他の生物種でも、同じようなことができれば、LC50値の生物種による意味の違い、また、どのように使うべきかが明らかになります。今後はこの分野を開きたいと思います。 

 われわれは、化学物質の影響による絶滅待ち時間(T)を算出するための理論的な枠組みを開発しました。このTをベースにして、Δ(1/T)、ΔT/T、ΔlogTの三つを生態リスク評価の指標として選びました。その三つのうちのどれが適当かは、どういう生態系を保全したいかの目標によって決まるのです。現実の系で、化学物質の濃度と、このTとの関係についての算定事例を増やしつつ、多くの人が生態系保全にかける目標と、どの指標が適合するかを検討しなければなりません。ただ、基本は絶滅待ち時間だということです。

 現実の事例を増やすための障害の一つは、この計算に必要なパラメータが得られにくいことです。この点については、必ずしも実測で得るのではなく、別の理論から推定する道を今後検討する予定でいます。パラメータの実測値を待っていることはできないからです。

 生態リスク評価の結果を用いた、リスクベネフィット解析を二例について行いました。一つは、岡らによる中池見開発の事例、もうひとつはDDTの使用に関するものです。未だ、初歩的なものですが、生態リスク評価手法の開発とならんで、今後はこの方面の解析事例を増やしたいと考えています。そのことによって、人の健康リスクで、確率的な生命の価値という値がもとめられているのと同等な、人々の選択に隠れた、「生態系の経済価値」を抽出できる筈です。

 我々の最終目標は、効率評価ですが、それについては岡 敏弘の明日の報告を聞いて戴きたいです。

10.発生源解析
 最後に発生源解析手法についてすこしだけ報告します。

 発生源が何かを知ることは、リスク管理で最も重要なことです。しかし、わが国ではこれが行われぬまま、誰かが都市ごみ焼却炉からダイオキシンが85%出ていると、それで進んでしまいます。恐ろしいことです。

 私たちは、発生源解析手法の開発ということに、大きな力を注いでいます。つまり、環境から発生源を予測する科学を作り出そうというのです。ここでは、このプロジェクトで行った4事例を、結果のみslideで大急ぎで紹介します。

 一つは、益永さんが行ったダイオキシンの発生源解析です。これは、宍道湖の堆積汚泥のコアサンプルについての、主成分分析の結果です。三つの主成分が抽出されました。PCP、CNPの水田除草剤、最後が焼却です(slide45, slide46)。


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 こういう実験を基に、わが国のダイオキシン排出量の経年変化を推定しました。

 つぎは、川崎市で自動車から排出されるベンゼンの濃度を推定したものです。博士課程1年の伏見の仕事です。PRTR法という法律が来年度から施行され、企業は化学物質の排出量を報告しなければなりません。環境庁は、自動車等の面的発生源からの排出量を報告しなければなりません。そのためのpilot事業が行われ、環境庁が報告しました。我々は、それが現実の数分の1であることを、実測とモデリングで明らかにしました(slide47)。


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 これは、やはり博士課程1年の岡崎聖司の仕事です。環境濃度を測定することによって、どこからどのくらい排出されるかを推定する方式を考えました。これは、市原市の事例です(slide48)。


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 最後は博士課程3年の小倉の仕事です。彼は、綿密な実験とモデリングで、環境濃度から関東地方のダイオキシンの総排出量を推定しました。1998年度で1660gと推定しています。環境庁の報告は540グラムです。もちろん誤差の検討は必要ですが、それでも十分使えると思っています(slide49, slide50)。


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  このように誰が出しているのかをはっきりさせること、企業や排出者報告とは別に、環境中濃度から発生量を知ることは、環境管理で重要な第一歩です。この分野で、我々は大きな成果を上げました。

 WSは今年で4回目です。自治体の方の参加者が多いのに驚きます(slide51)。


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  自治体の方は、板挟みになって苦しみ、こういう方法論を身に付けたいと思っているのだと思います。WSは今年で終わりですが、今後も、この自治体の方の要望に応えるようなことは実施したいと思っています。

 ご静聴ありがとうございました(slide52)。


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