15.−2003.02.12「ヒトに対する化学物質の実験」

 アメリカでヒトを対象にした化学物質の試験が議論になっている(C&EN, 2003年1月27日号)。医薬品の場合は二重盲検という、試験者も医者も試験薬と偽薬(プラシーボ)の区別を知らせない状態での試験が課せられている。しかし、農薬をはじめとする化学物質の試験ではヒトを対象とした試験は一般的でない。
 1996年の米国Food Quality Protection Actでは動物での毒性試験結果をヒトに外挿する場合、更に10倍の安全係数を課した。これにより安全係数は全体で1000になる。これに対して、農薬会社は、動物からヒトへの外挿で10倍が不適当であることを証明できれば更なる10倍は不要と申し立て、その後、有機リン系農薬などのヒトでの試験結果を提出している。しかし、試験の多くは米国外で金を払って雇った被験者を用いたもののようである。このような事態を受けて、米国環境保護庁(EPA)は1998年に試験者が故意に曝露された試験結果は受理しないという非公式の方針を決めた。これに対して農薬メーカーは基準を決める際には全ての信頼できる情報を考慮しなければならいないという法律に違反していると連邦裁判所にEPAを訴えた。
 そこで、EPAは昨年National Research Councilにヒトの試験に関する検討を依頼し、1月8日にワークショップが開催された。

ヒトの試験に対する賛成と反対意見をまとめてみると、

賛成意見
・ヒトでのデータは非常に貴重である。リスク評価の不確実性を減らせる。
・医薬品では普通に行われている。化学物質であっても違いはない。
・Nurenberg Codeなどに従って行われ、倫理的な問題はない。
・動物実験で分かっている安全の範囲でヒトに試験している。
・試験は医薬品のPhase Iテストと同様に、20〜80人の健康な志願者に対して行われる。統計的な検出力を持つ。
・ヒトのデータなしでは不確実性が大きくなりすぎ、リスクが大きく推定され過ぎ、結局、農薬の有効な利用ができなくなる。
・ヒト試験は、試験者個人には便益はないが(実際には金銭の支払い有り)、社会としては便益がある。

反対意見
・試験数は少なく、危険性は見落とされる。結局、使いものにならない。
・子供など弱者グループでの試験はできず、基準を緩くする。
・ヒト試験は科学的な理解を深めるためというより、基準を緩くするために行われている。
・被験者に試験の危険性に関する十分な情報が与えられていないことが多い。
・倫理的な問題がある。医薬と異なり、被験者に利益がない。

 ヒト試験の志願者が、経済的、雇用関係的、その他の圧力などを受けない状態かというと、そんな理想的なことは無いだろう。いろんな意味で結果に対する思惑があることも明らかだろう。そうした実態を考えると、積極的にヒト試験を採用することもないように思える。しかし、動物試験なら思惑がないわけでもない。結局、出てきたデータの精査が大事だ。また、動物からヒトへの外挿については、画一的な安全係数に頼らない、不確実性の大きさによる柔軟な手法が採用されるべきだろう。その上で、新規物質については動物試験の外挿で多少厳しくなるのは仕方が無い。しかし、そうした条件下で使っている内に、ヒトへの影響に関するデータを収集するシステムが必要だ。特に、ご使用や事故が起こった場合の追跡は大事だ。この辺りの情報収集がヒト試験より優先すべきと思われる。
 カネミ油症事件の追調査が行われようとしている。中身がどうなるのかは分からないが、こうした事が大事なのだと思う。

14.−2003.02.05「宇井純先生のこと」

 最近の新聞で、宇井純先生の沖縄大学教授の定年に当たっての最終講義が行われたとあった。知らない方も多いかもしれないので、あえて書けば、日本のレーチェルカーソンとも称され、産業公害が激しかった時期に水俣病をはじめとする公害問題を世に知らしめた方である。ご苦労様でしたとお伝えしたい。(宇井純先生について知らなかったという方はネットで検索してみてください。)
さて、宇井先生が1965〜1986年の21年間の長きにわたり東京大学都市工学科助手であった間に、私は学部3年の実験演習を担当して貰ったことになる。水質分析を実習するのが内容だった。半年間だったのだろうか、それとも、一年間だったのだろうか。今となっては定かではないのだが、随分長かったという感じが残っている。当時、宇井先生は自主講座「公害原論」を主催し、毎週学内で公害現場に関わる講師を招いた講演会を開催されていた。聴衆のほとんどが学外の人であり、それが大学のオーソリティに対立する形で行われていることが感じられた。その先鋒の方が担当する実験と言うことで我々も緊張していたように思う。実験の指導はかなり厳しく、毎週午後1時から始まる実験は、規定時間の夕方になっても完了することはほとんど無く、毎週夜遅くまでかかったと記憶している。しかし、この実験の間に自分の携わっておられる「公害原論」などに関する話をされることはほとんど無かった。ただ、夏休みに足尾銅山などの見学会が行なわれ、それは主として自主講座の行事だったようだが、我々学生も多くが参加した。3泊4日程度のバス旅行で、宿泊施設が日に日に粗末になって行くのがおもしろかった。
 宇井先生から私が受けた最も大きな印象は、実は、担当して貰った実験演習レポートの採点である。毎週の実験のたびに結果をレポートにして提出する。学生各人が出すのだからそのレポートの量は半端ではない。それが実験室の先生の机に山と積み上がっていく。これは、出しっぱなしになるだけだと思っていた。ところが、懇切丁寧な赤の入ったレポートの束をまとめて返却して貰うことになるのである。正月休みをこれに当てたということだった。これには、感激した。これまで講義を受けた多くの教授連は、レポートを提出しても何らかの応答を返してくれることはまれだったからである。
 私も反応しない先生にはなるまいと思っているのだが、期待に十分は添えていないかも知れない。

13.−2003.01.30「ダイオキシン国際キャリブレーションと輸入禁制品」

 ダイオキシン分析の精度を確認するということで、スェーデンの大学関係者が努力して国際キャリブレーション(International Intercalibration)という企画がこれまで行われてきた。同一サンプルを各国の分析機関に配布して分析してもらい、結果を照合するわけである。現在、第8回目のキャリブレーションのサンプルが各分析機関にスェーデンから発送されている。実は、私どもの研究室も参加していて、既にサンプルが届いている。
 ところが、サンプルが届かないという事態が発生したらしい。日本の参加機関の方からこのトラブルに関してメールをいただいて知ることとなった。
今回のサンプルは焼却灰と土壌が各3サンプルずつである。参加機関は、焼却灰と土壌のどちらか、あるいは、両方の分析に参加する。届かなかった分析機関によれば、トラブルの理由は土壌の輸入が植物防疫法で禁止されているためだとのこと。その方は植物防疫所とも交渉したそうだが、輸入の申請書を出すようにとの指示で、その手続きには1〜2ヶ月必要ということだ。これだと、分析結果報告の期限に間に合わなくなりそう。
私も以前に外国へ環境汚染の調査に行き、底質などのサンプルを持ち帰った経験がある。このときは事前に植物防疫所と連絡をとり、申請を行った。扱い方の記載、研究施設の図面に保管場所を明示するなど結構面倒な手続きである。そして、輸入した後にはもっと面倒なことが待っていた。そのサンプルの最終的な処分を防疫所係官の立ち会いの下で確認してもらう必要があるのだ。すなわち、分析残査や残りの土壌を係官の目の前でオートクレーブ滅菌処理するわけである。こんな経験が何度かあるが、最終処分に至るまでに環境に出さないようにする管理状況を常時監視しきれるわけではないので、係官による立ち入り確認は形式的な側面がある。結局、適切な管理は輸入した人の良識にゆだねられている。
防疫に重要な意味があることは理解できる。いろんな病害虫や病原体の流入が瀬戸際で止められているのだろう。しかし、この人と物の行き来の激しい時代に一部の物だけを厳重に管理することにどのような効果があるのかは大いに疑問である。
他方、野生生物の輸入禁止は特定の非常に限られた種に対してだけしか行われず、ペットの逃亡による生態系のかく乱、そして、ペットについた病原菌による感染などが起こっている。
土壌はだめ、生肉はだめ、魚はOK、などの基準もあまりよくわからない。この際、こうした防疫システムを維持するコストと効果を明らかにし、何をどこまで管理すべきかを考え直す時期に来ているのではないだろうか。
ところで、今回、当研究室は焼却灰にだけ参加することにしていたので、この騒動には巻き込まれずに済んだ。
[この件について知らせて下さいました村岡宏一様(東邦化研滑ツ境分析センター)に感謝します。]

12.ー2003.01.23「豊かさを生きる」

 ある雑誌で氷川きよしと内館牧子の対談を読んだ。氷川がお母さんを率直に慕う発言をしている。内舘がどんなにか親思いの息子なのだと感激する。ここで出てくる親子というのは、こどもが友達の持っている物を欲しいと親にねだる。しかし、家が貧しいので、「買ってあげられない、ごめんね」と親が泣くような話である。いい話なのだが、日本でこのような状況の下で理想的な親子関係を築ける家庭はほとんどなくなったのではなかろうか。そういう意味では、この話はもう多くの親にとって実践不可能で、参考にならない。今は、ねだられた物はちょっと無理すれば子供に与えられる。でも、親はどんどん与えてしまっていいのだろうかと考えて、「我慢しなさいと言う」。親の愛情を表現しにくい時代なのかも知れない。反省を込めて言えば、子どもが親から貰う一番のぜいたくは時間かもしれない。
 関連して最近読んだ本の話を紹介する。小柳晴生著「ひきこもる小さな哲学者たちへ」(生活人新書、NHK出版)。カウンセラーでもある著者(現:香川大学保健管理センター所長)は、現在の子どもや若者が「キレやすくなった」、「陰湿ないじめがはびこっている」、「対人関係が下手になった」、「善悪がしつけられていない」など、こどもや若者が悪くなっているとの言説があるが、実際に悪くなったわけではなく、これまでの常識であった「欠乏を生きる知恵」が役に立たなくなり、「豊かさを生きる知恵」を得ようと葛藤しているために起こっていると説く。
・「豊かな」世界は楽しく、幸せなはずなのに、実際は物と情報に圧倒され、つきあいかねる社会である。
・「豊かな」社会は、たくさんの選択にさらされる過酷な世界。職業の選択をはじめ。
・努力、勤勉という欠乏を生きる知恵だけでは、先が見えない世界。
・本来の遊びまでが、スポーツクラブなどと組織化される時代。
・欠乏の時代には新しい知識・情報の源、食欲を満たす場所であった学校(給食のこと)。今では、学校以外でいくらでも新しい知識は得られるし、おいしい物を食べられる。学校は知識や規律は教育するが、不要な情報の捨て方は教えない。こうした、学校に魅力のない時代。
などなど、いろんな例や論点が述べられている。現在のこどもや若者が抱えていると大人が見ている問題が、本当に「豊かさを生きるため」の模索なのかはまだ分からない。著者もひとつの仮説だと言いつつ、しかし、数年後には常識になるだろうと予言している。
著者は「豊かな」時代を生きるにはこれまでと違う知恵や力が必要で、それらは、
1.あいまいな状況を探索的に生きる力(豊かさの中で、自分で道をつくりながら生き、そうした行き方を良しとする価値観を持つ)
2.自分とつきあう力(自分の心をうまく聞く力)
3.自分と折り合う力(たくさんの可能性の中から選べなかったことをあきらめ、うまく行かない状況を耐える力。不完全さにおりあいをつけて楽しみを味わう力)
4.内的な倫理観や価値観、センスに裏付けられた節制力(自分にとって何が大切かをはっきりさせ、それ以外にこだわらずに生きる力)
だという。
 最後の章に著者の豊かさとのつきあいが述べられる。「私にとっての豊かさは『時間が足りない』という形で襲ってきました。目を通しておきたい情報や処理しなければならない案件、関わる人の数は日々爆発的に増えるのに、身体はひとつしかないし1日は24時間という現実は変えようがないからです。・・・・私がカウンセリングの経験から何かを得たとすれば『社会の期待にあわせるだけが生きることではない』という価値観です。」(この社会の期待の部分は、若者の場合は親の期待、あるいは、周囲が自分に期待していると自分でイメージしているものとでもなるのだろう。益永注)
 以上、舌足らずの紹介しかできていない。外界への働きかけるエネルギーを充電中の方は一読されると良いかも知れない。悩んでいることを意味づけすることができれば、それだけ楽になれるはずだ。

11.ー2003.01.15「有機フッ素化合物−PFOS-による人体汚染の研究結果が報道される」

 今年もよろしくお願いします。新年早々なので、当研究室にちょっと良かった話題から。
 昨年末(2002年12月31日)の朝日新聞(大阪本社版)の第1面に当研究室が測定した日本人の血液中の「パーフルオロオクタンスルホン酸」濃度の測定結果が紹介されました(東京本社版には掲載されなかった)。記事は、これまで無規制で使用されてきた難分解性の有機フッ素化合物が人体や環境に存在していることが分かったこと。政府がこれを「指定化学物質」に指定して生産や使用量の把握に乗り出したことを報じたものです。
 パーフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)は「スコッチガード」の商品名で防水スプレー、消化剤、界面活性剤として使用されてきました。既に、ミシガン州立大学の研究で野生生物の汚染が進んでいることが分かっています。この結果を受けて、スコッチガードの生産者である3Mは生産を中止しました。
 当研究室ではミシガン州立大学(Kannan助教授 & Giesy教授)の協力を得、横浜市立大学と共同で日本人の血液中にも2〜20ppbでPFOSが存在することを明らかにし、昨年8月に学会で発表しました。調査に協力して頂いた方々には、ここで改めて感謝します。
 PFOSの毒性はそれほど強くなさそうですが、どの程度深刻な問題かはこれからの調査を待つ状況です。PFOSの興味深いところは、これまで問題になってきた残留性有機汚染物質(POPs)であるダイオキシン、PCB、有機塩素系農薬類とは全く異なる性質を持った化合物であるという点です。POPsは疎水性かつ親油性であり、生物の脂肪に蓄積されたのですが、PFOSは疎水性と疎油性の両方の性質を持ち、脂肪には貯まりません。新しいタイプの汚染物質だと言うことができます。これが、環境中でどのように動き、どのような経路で生物に取り込まれているかは、環境科学者にとって大いに興味のあるところです。

新聞記事へのリンク
学会発表へのリンク
 Dioxin2002
 環境科学会
関連する中西準子の雑感へのリンク
 雑感111 -2000.10.30「3Mとスコッチガード」
 雑感170 -2002.3.19「PFOS(スコッチガード関連)の日本人の血中濃度」
 雑感178 -2002.5.20「PFOSの分配係数は測定可能か?」